ジョブホッパーの末路とは?新卒半年で1社目を退職、2・3社目も辞めた話

私はFラン大学から新卒で東証一部上場企業に入りました。
業界最大手だったので、かなりリッチな会社でした。
ただ、半年で辞めてしまいました。

そのあたり、当時何があったのかについて詳細を書いていきたいと思います。

慶応早稲田の人がいて同じ場所に立てて喜んだ

私は転職を20代で3回しているのですが、順番に1社目、2社目、3社目名、4社目と今が4社目ですけど、そこらへんの話しをどんどんしていきたいと思います。

まずは1社目の出来事です。

慶応、早稲田の人がいて同じ場所に立てて喜んだという話なんですけども、私は元々Fラン大学出身でめちゃくちゃ学歴コンプレックスがありました。

慶応とか早稲田だとか東大とかですね。
あとマーチの人も青学とか駒沢、東洋とかそういったところの人に対してすごく劣等感を感じるんです。それはずっと感じていました。

いろいろサークルとか他の大学の人とも絡むようなサークルとか、なんか集まりとかいろいろあります。あとバイトでもあります。バイトでも学歴で優秀な人がいるんですけど、例えばその一緒に働いている人が早稲田だったら「早稲田なんだって、めちゃくちゃすごいやん」「東大なら本当に頭良いんだろうなー」みたいな風に思っていました。

そこら辺ですごい劣等感を感じました。もう自分は「くそダメな人間だな」というように思っていたのです。就職した先が東証一部上場企業でした。
入ってみたら実際に慶応や早稲田の人がいて「俺も同じ場所に立てたんだ」っていう風にめちゃくちゃ喜びました。

やはり入り口が違いますし、同じレベルの出身じゃないと手札が違うわけです。慶応や早稲田の人に比べても、僕はFランというクソみたいな三流大学ですから、全然レベルが違います。

慶応や早稲田をエースとすれば、自分はもう普通に何かクソみたいな何も取り柄もなかったにもかかわらず、同じ場所にいたわけです。同じ場所に就職できたのです。ハッピーハッピーです。

「やっと同じレベルの場所に立てた」「自分は結構できるんじゃないか」みたいな風に思ったんです。
だから慶応や早稲田の人だったとしても、僕と同じ場所にいることに若干ですが「ざまぁ見ろ」的なことを思っていました。

でもやはり、それだけ自分にコンプレックスがあったので、今まですげーなと思った人と同じ場所に、同じルートで就職面接をして、同じように一次の採用面接、二次の採用面接、三次の採用面接に通ってっていうような感じでやってきて。それで同じように認められて、会社の人事に認められたというのはすごい喜ばしいことで非常に喜びました。やっぴーです。

これには親も喜んでくれて非常にうれしかったです。

ちょっとなんか今思い出すと悲しいですが、大学4年の時の卒業旅行みたいな感じで行きました。親もその場ですごい喜んでくれました。
泊まるところでショーがあったんですけど、そのピアノ演奏者がいろいろ席回って「ありがとうございました」とか「握手しましょう」みたいになりました。

その時、うちの父親が「息子が今回、上場会社に就職することに決まったんですよ」みたいな風に言っていました。
そのピアノの演奏者の人も「あめでとうございます」っていう感じで言ったのを今でも覚えています。

それくらい親は喜んでたんだなあというふうに思いました。
喜んでいるのを踏みにじる感じになっちゃうんですけど…。
ただやっぱり親とは感覚がなかなか合わないなと感じました。

少し話はそれましたが、そんな感じで自分自身はコンプレックスを持ったんですけど、慶応や早稲田の人と同じような会社に就職できて、それで若干コンプレックスが解消されたっていう話でした。

新入社員研修1ヶ月間

新入社員の社員研修が1か月間あったんです。会社じゃなくて合宿でずっとやってました。1か月間ずっと泊まりながら。新入社員は100人くらいはいたんですけど、みんなで一緒に行ってました。

朝はちゃんと6時に起きて、日経新聞読んで、日経新聞の問題が出て、日経新聞の問題に答えて、会社の売上とか会社の標語とかみんなで声合わせて合唱したり、社歌という会社の歌があるんですけど、歌ったりしてみんなで声を合わせていました。

あれは面白いですよね。社歌を歌ってマジでキモいじゃないですか。みんな同じ歌を歌って。でも、それはである意味で楽しんじゃえば意外と面白くて。

なんかみんなで「ここちょっと音程変えようぜ」「今日はガチでやろうぜ」みたいな感じでなんとかやり過ごしました。

やり過ごすといったら、テストもありました。
僕はあの全然覚えられなかったのですが、やはり慶応や早稲田の人が強いんです。いつも満点に近い。やっぱそこでも自分とは違うなと思ったんです。
知識量や記憶力とかは高いんだろうなと思います。

1ヶ月間は結構長くて、テストは毎回あって、夜に勉強するしかないんです。

やっぱり大変でした。勉強できない奴はブラックで長時間やるしかないですよね。まあ罵声を浴びせられるとかなかったんですけど。

一番印象に残っているのが最後に合宿1ヶ月の思い出ムービー流すみたいなところがありました。

今までの振り返りとか、この1ヶ月何をしたかとか、今後頑張りましょうみたいな。
人事の担当講師みたいな人がいろいろ本音を語ってくるんです。
「よく頑張ってくれました」「これからもがんばれ」みたいな感じで言ってると時には泣いてしまう人もいました。

そこですごい心を揺さぶられました。これはライティングでも使えますね。自分のライティングの物語、提案でやはり使えます。結構泣いている女の子もいましたが、私はちょっと若干キモいなぁと思い見てたんです。こんな感じで1か月終わりました。

配属直後に男性社員自殺

アラサーくらいの男性社員が自殺したというふうな話を聞きました。配属されてすぐです。その時は外に営業にいましたので、あんまり社内の様子が分からなくて…。

あんまりみんなその話題に執着してないというか、その場はしないみたいな感じでした。いつも通りに営業してました。いつも通りみんなは業務したり、作業したり、電話したりしてました。自殺してもやっぱりそういう風な感じなのかなというふうに思った次第であります。

自殺してしまった男性社員の部長さんはめっちゃくちゃいかついんですよ。ほぼヤクザなんです。見た目だけでなく、暴言とかもすごくて。大阪弁で「どないするん!!??」みたいに言うような怖い人でした。

体格もよく、熊みたいな肌も真っ黒で髪もテカテカのオールバック。「今日数字どうすんねん」みたいに詰めるんです。詰める型の部長でしたので、そのやっぱり下に入るとしんどいだろうなとその時は思いました。

それで思い詰めて死んでしまったというところです。その時自分と同じ部の先輩が教えてくれたのは「ここらへんの近くのビルから飛び降り自殺しちゃったんだよ」ってことです。自殺はまあある話ですし、なくはない話なんでそういう人もいるのかなって思いました。

やはり営業職なので、数字に追い込まれてしまったらそういうことになってしまうなって思いました。でもそこまであまり自分的には感情は動かなくて、あまり悲しい所がなかったです。ただ「会社名スペース自殺」ぐらいは調べてました。

調べると他のグループ会社でも死んでしまう人もいたというような情報をネットに書かれてて、まぁある話なんだなと思いました。悲しい話なんですけど、実際に数字とかで追い込まれる仕事なのでありえる話であります。

営業成績が全然出なかった(仕事の話)

結局自分自身もやる気だけはあるものの、営業成績が全然出なかったんです。1ヶ月目配属されてすぐに結果を出す同期もいましたし、配属されて結果が出なくて自分と同じような人もいました。

ただ、少しづつ結果を出す人が増えてきます。30人ぐらいが支社に配属され、最初1か月目で5人くらいは成果が出て、その後6人ぐらいは成績出ました。3ヶ月目では15〜20人ぐらい出て残りは3〜4人です。

そのうちの1人となり、全然成績が出せずでした。日々飛び込み営業や電話のテレアポ、パンフレットのポスティングなども行いました。あらゆる営業のことはやりましたが、成績が出せず、非常に会社に居づらかった記憶があります。

今思えば、もうちょっと長くやってもいいんじゃないかなとも思います。しかし、結局辞めることになりました。割と数は打っていたつもりなんですけど、まだ足りなかったということだったのでしょう。

成績出てる人は1回出ると波に乗ります。どんどん成績を出したいと思い、お客さんにも気に入られて、紹介されたりとかしていくわけなんです。しかし、自分は全然成績を出せず「ああしんどい」「もう会社行きたくない」「営業の電話したくない」「訪問販売してもそんなの買わないだろう」みたいな風に思っていくのです。まあまあつらかったです。まぁまぁどころじゃないか。

会社には行きたくなかったですし、仕事もしたくなかったです。どんどんそういうふうになるとマイナスになっていきます。1か月、2ヶ月、3ヶ月でも成績が出ないとどんどんマイナスになり、そのサイクルで本当にしんどかったなっていうのがあります。

なぜ辞めたのか?

なぜやめたのかというと、「本当に自分自身は営業に向いていないんだな」とか「こういった大組織には向いていないのかな」と思ったことです。自分自身がそんなに飛び込み営業とかを頑張る勇気がなかったんですね。

その反面「営業をずっとやってもしょうがない」「広告とかマーケティングとかのほうに行ったほうがいい」「今だとIT系が流行っているし、これからも伸びるだろうからIT系に行ったほうがいい」「プログラミングをできるようになった方がいい」といったプラスの理由もありました。

なのでマイナスの理由とプラスの理由をそれぞれ考えながら結局やめることになったんです。しかし、将来的にはどうしようとかまで結局は考えてなかったので、マイナスな理由で辞めたっていうのが大きいと思います。あとはやっぱり嫌だったんです。「もうこれ以上ここにいるのが嫌だった」というのが一番です。

その時に「自殺しなくてよかったな」というのもあります。思い詰めると、やはり「もうめんどくさい」「もう疲れた」とか思ってしまいます。「自分に向いてないし、もう生きててもしょうがないな」といったように思ったこともあります。

頭にはよぎったものの、やはりまだ余裕があったんだと思います。新入社員だしみたいな感じもありました。実際に先輩たちも「まぁそんな早く成績でなくても別に問題ないよ」と言ってくれる人もいたので、ちょっと余裕があったというのもありました。

実際に半年や1年ぐらい全然成果出なくても、2年目で跳ね上がる人もいたらしいので「そういう道もあるのか」とは思っていましたが、結局やめてしまいました。半年で辞めたんですけど、もったいないなというのはあります。慶応や早稲田の人とやっと同じ土俵に立って、やっと学歴コンプレックスが解消されると思ったのになんか上手くいかなかったというわけです。

辞める時の冷たい人と温かい人

辞める時にやはり基本的にみんな冷たいです。無関心もありますし「え?もうやめるの?」みたいなひんやりとした雰囲気もあります。自分よりも早く辞めた人は5人ぐらいいたんですけど色々思われていました。

「もうやめるのかな」「根性ないな」「ほんとやる気がない」「せっかく入ったのにどうしてくれるだ」とかです。研修費用や教育時間をかけ、1人当たり2000万円から3000万ぐらいかかるんだとみたいに言われて、確かにそれは申し訳ないなと思いました。

しかし「もうそういうのはもう関係ない」とも思いました。「やめたいと思わせるようなことに至ったのはあなたの責任でもあるでしょ」みたいな感じで。
そういったところもちょっと自分的には半分良くない性格かなと思います。
実績実績で追い込まれて、お前にも責任あるみたいな風に思うたちではあったんです。

そこらへんはなんとかバランスよくやってたのかなと思います。結構大多数が冷たいんです。でも一人だけ温かい人がいて、ほんと今でも記憶に残っています

やめるって話した後はやっぱり冷たくて本当にしんどいなというふうに思っていました。当時のことを思い出すと悲しくなります。

やはりみんな冷たい中で毎日出勤して仕事するというのはしんどかったです。その中で一人だけ温かい先輩がいて、その男性の先輩は「とりあえず飲みにいこうよ」みたいな風に言ってくれて行きました。

そこで「まだ残ってもいいんじゃないの」とか「まだ全然成果出してなくても大丈夫だ」とかいってくれたんですけど、もうやめるって言う風に決めてたので、「せっかく引き止めてくれたのに申し訳ないですけど」みたいな感じになり、結局その日はさよならしました。

結局終電も逃してしまったので、タクシー代もくれたりとか、非常に良くしてくれました。その人は今でも記憶に残ってるんで何か今後あったら「あの時はありがとうございました」って一言言いたいです。

親の反応

次は親の反応というところで言うとやはり基本的には「せっかく東証一部上場企業入ったのにもったいない」とか「半年で辞めるのはもったいない」という話ばかりでした。自分の話はもともと親にもしないんですけど、決めたことに何か言われても「へー」くらいにしか思いませんでした。

その時はかなり残念そうにしていたので、親の期待に応えられなくて申し訳なかったなというふうに思っています。でも自分で決めないと親が決めた通りに動いてもしょうがないとも思っています。

結局親も定年が終わって、元いた会社にかなり年収下げて継続して働いているんです。しかし、それもよく分からないです。会社に所属してずっと一定の成果を出してきているのに、急にある年齢から能力とか全く変わらないのに年収ガクッと落ちるっていうその制度も意味がわからないです。

本来なら何かしらの1つに特化したことをやっていくならどんどん知識と経験が積み重なって、それに対する対価も増えていってどんどん収入も上がっているのが普通の道だと思うんです。結構大きな会社に勤めているんですけれども、定年制度があって、一定の年齢からは急に年収が下がってしまうんです。

ほんと意味が分からないと思うんですけどそんな感じで働いています。なので親も上場企業なんで自分がやめてしまうということに対して「本当に大丈夫?」みたいな感じはやっぱり言われました。

でも自分的にはその時は「IT系にいきたい」「やはり自分で稼げるようにならなければダメだ」といった話をして結局辞めることになりました。そんな感じで1社目の出来事は終わりです。

まぁ意外と辞めるときに冷たい人と温かい人がいるという話で、ちょっと自分自身もかなりいろいろ思い出していろんな感情が込み上げてきました。けれどもやっぱり最終的に何を思ったのかといったら、辞めたのは辞めたのでしょうがないです。

全然まとめな話になってないですけど、最初は入社して慶応や早稲田の人と同じ土俵だと思ったんです。自分は三流Fラン大学なんで喜んでいました。しかし、慶応や早稲田の人はすごいです

やはり培ってきたものが違います。勉強のやり方や辛抱強さ、メンタル的に強いところ、1つのことをやりきれるところですね。コミュ力も高いですし、Fランの出身の人とは比べ物にならないくらいやっぱり元々の素養が高いというかスキルがあります。

1カ月間ではその感情を知りつつ、あとは自殺というのがありましたけど、今思えば「何で無関心だったんだろう」と思います。今だったら本当に「え?まじで?」みたいな風になりますけれど、その時は全然なってなかったです。やはり、自分自身のことしか考えられなかったんだと思います。

人のことは全然考えられなかったし、余裕がなかったし。他人という風に思っていました。同じ会社の人であったとしても。結局は自分自身の営業の数字を出さなきゃいけないんで、そのことばかりを考えていました。

そういう風に言われていましたし、上司とか人事から「数字を出さないって本当に価値ないから」ぐらいの話はされていました。実際に先輩社員も数字で判断されますんで、数字が出せなかったら降格や役職が落ちます。数字が上がればインセンティブがもらえるし役職があがります。

全部が数字の世界ですから、それが出せなかったら全く価値がないんです。そこにしか価値をないので、つながれてこなかったと思いますね。上司や部長とか課長とかに色々連れてってキャバクラとかちょっとセクシーなお店に行ったりとかいろいろな経験させてもらいました。

そこは非常にいい私の経験となっていて、ありがたかったなと思っています。こんな感じです。結局成果が出なかったのも自分のスキルや胆力の無さ、耐える力の無さがあったんですよね。結局いやになって辞めるっていう典型的な辞める人の流れです。という感じで1社目の出来事は以上になります。

2社目の話

今回は2社目の転職話です。

私自身がに2社目入った時、スーパーで働いていたんですけれども、そのスーパーで働きながら何をしていたのかという話をしたいと思います。

私は3回転職したことがあります。

今回は2社目なので1回転職した後に転職活動をした話になります。

スーパーで働きながら起業を目指す

1社目辞めるまでは「その会社でどういうふうに辞めようか」とか「どうしたら上手く辞められるのか」と「1社目辞めた後に2社目をどうしようか」「これから先どうしようか」という風に考えていました。

実際に辞めてから「次の仕事はどうしようかな」と、考え始めました。

なので辞めてから1カ月か2カ月ぐらいは特に何もせず「これからどうしようか」という風に考えている期間でした。
とにかくフリーでしたね。その期間は急に満員電車に乗らない生活になるわけで、満員電車が動いている時に普通に繁華街とは逆の方向に動いているわけですね。

非常に面白くて、会社に出勤する8〜9時くらいの間に逆を行くわけなんですよ。自分自身が7時ぐらいからカフェ入って、9時ぐらいに駅から離れたところにあるんでカフェから駅のほうに行くんです。駅の方から会社の方に向かう人がたくさんいるんですが、そっちがビジネス街なんです。

そうなるとその人とぶつかるような感じで歩くんですね。そうすると「俺は本当にやめたんだ」「俺も会社の人じゃねえんだ」「社会の人とは違う生活を送ってるんだ」みたいな感じになりました。

疎外感もありましたし、みんなが会社にワーっていく姿が非常に目に焼き付いています。「全員同じに見えるな」みたいな感じで思いました。「社会人って結構異常だなぁ」とか「スーツを着てみんなで同じことをして異常だな」というふうには思いました。

そこで「自分自身で起業したい」「独立したい」といったようになりましたね。実際の最後辞める時に優しくしてくれた先輩に対しは、「自分自信でなにかやりたい」「将来考えているんです」みたいには話していたんで、そこらへんは考えてました。

スーパーでアルバイトしながらやっていこうと思った

結局考えるだけ何も行動してなかったので、とりあえず現実的に働かないとというふうに思いました。「働きながらでも頭で考えられる」とか「働きながら他のことができるものにしたい」と思っていました。色々悩んだ結果、スーパーで働こうと思いました。

実際に満喫も考えていました。満喫は結構ヒマそうじゃないですか。夜も働けるし、時給いいし。そこで働きながら昼は何か一人でやれることや将来につながることを考えたいなと。それが両立できるのが満喫なんじゃないかなというふうに思いました。

漫喫も2、3店舗ぐらい面接行ったんですけど、結局たどり着いた考え方は「深夜働くのが向いてない」ってことですね。元々5時、6時に起きてそこから勉強したりとか本読んだりしてて、深夜に働くの無理だなというふうに思っていました。

大学生の頃も深夜まで飲むとすぐ寝てしまうんです。友達の家で「朝まで飲もうぜ」ってなってもすぐに寝てしまうんです。すぐに寝るで評判でした。そんな感じでやっていたので、満喫はダメだと結局なりました。

条件としては「働いている最中に頭が使えること」「暇であること」「ある程度の給料がもらえること」でした。しかし、新しい条件は昼に働けることになりました。朝方なので、朝から働いた方がいいかなと思いました。

その結果、スーパーがいいのではとなったのです。何店舗か面接した結果、あるチェーンのスーパーで働くことになりました。アルバイトです。そこは朝6時ぐらいからだいたい7〜8時間の勤務なんで、12時頃には終わるわけです。そんな感じを毎日やっていました。土日平日関係なく入れてました。

メンズセラピストスクールに通いながら働いた

続いて何かやらなければいけないと思い、メンズセラピストスクールというのがありました。自分には何も能力もスキルもなかったんですよ。人に対して何か対価としてお金をもらえるようなスキルが無かったんで、思いついたわけです。ピンときたんです。

女友達にエステティシャンがいました。色々調べていたら、メンズセラピストあって、メンズセラピストスクールに通ってマッサージエステできるようなスキル身につけようと思いました。

それで稼いでごうと思い早速やってみました。昼も夜もスクールは個別指導。アルバイトで朝から昼まで働いて、その後にすぐにセラピストスクールに行ってたんです。そこには自分自身の手に職を付けたい人がたくさんいました。

私は全身のエステができるんです。ホホバオイルを使って、全身のマッサージをできるんです。背中やお腹、脚、腕、肩、首とかです。あと頭のヘッドマッサージもできたりするんです。まあそんな感じで習っていました。

実地体験という、実際にマッサージをする場面もあって、女の人がお客さんの代わりになって。エステモデルみたいな感じで「無料でできます」「体験来ませんか」みたいな感じです。

もちろん胸とかだと訴えられてしまうんで、そこはできませんでした。すごく懐かしいです。すごいクレーマーみたいな人がいて。背中をやっている時に言われるんです。

気の強そうな女の人で「もっと強くしてください」「全然弱いんですけど」「え?それぐらいですか?女の人の方が強くないですか?」みたいなに言われるんですよ。めちゃくちゃ腹たってショックでした。

「あぁしんどいな」「全然できない」というように思いました。できなかったことは反省として、先生にまた教え直してもらって。パワーつけ方、力の入れ方とかです。自身の体の使い方で力の入り具合が変わりますので。そこらへんは専門家に習った方がいいということはわかりました。

うまくいかなかった

そんな感じで、3ヶ月ぐらいセラピストスクールに通いました。結局それが終わっても、自分自身でいろいろやらなきゃいけないです。

自分自身で稼げないわけですから、例えば週末だけお客さんに対して、マッサージをするとか、空いているときにマッサージをするとかです。そうやって生計を立てる人がいました。

自分もやろうと思いましたが、結局うまくいきませんでした。全然駄目でした。ワードプレスを調べて、自分のウェブサイトを作って、広告も出したりしたんです。 googleの広告を出したり、youtubeを出したり。あとはインスタもフェイスブックも。

いろいろ広告を出したんですけど、全然集客できなくて。結局3人ぐらいのお客さんをやらせてもらったんですけど、全然続かなくて終わりましたね。1人は外国人の方で、確かブラジル出身の人だったんですけど、ヒップめちゃくちゃデカいんですよ。

紙パンツと紙のブラジャーをつけてもらって施術をするんですけど、紙のパンツが日本人仕様なんで、ヒップに合わなくてですね。もう紙が食い込んじゃって。すいませんと思いながら「きついですよね」というと「大丈夫です」みたいな言われて。日本語をしゃべれる人だって分かりました。

あと1人特徴的な人がいました。刺青が入ったママです。「いらっしゃいませ、よろしくお願いします。これ着替え終わったらうつ伏せでタオルをかけて待ちください」といいました。

5分くらいしたら「よろしいですか」ってまた部屋に入って「始めていきますね」ってやるんですけど。それで初めてタオルめくって「背中からやらせていただきます、裏側からやらせていただきます」って始めるんですけど、背中に入れ墨が入っていて。

ピザハットのピザぐらいの入れ墨があって。「刺青カッコイイですね」って言ったら「これタイでやってもらったんですよ」みたいなに話していました。海外でダイビングを教える人だったみたいで。いろいろビーチとかで。

海外の観光施設にはいろいろダイビングとかあったりするじゃないですか。そこでレクチャーしたり、体験案内とかサポートとかの仕事をしていたみたいなんです。結構ファンキーで面白かったです。

そんな人2、3人以降は集客できず終わりました。これも「先がねーなー」と思って。結局うまくいかなかったですね。

何をしたらいいのか分からずに本を500冊読んだ

結局うまくいかずに、どうしようかなと思って何をしたらいいかわからなくて。とにかく本を買いまくりました。ブックオフに通って買ったり、アマゾンの中古本を買ったりですね。

10円とか20円とがで。最初はアマゾンは送料無料だったんですけど。送料かかるようになってて「高いな」と思ったのを今でも覚えています。500冊ぐらいみましたね。

スーパーで働きながら、セラピスト目指して駄目だった。これではダメだと思って、挫折してわからなくて500冊くらい読んでました。難しい本でコトラーとかピーターとか。でも、今思えば無限にインプットしていても意味ないなって。

今そのときのことを全然覚えてないです。やはり、使ってないですから。インプットしても使わないのは全く意味がないですよね。情報を入れても使わなかったら消えちゃうんですよね。

結果的に経験として残らないじゃないですか。だから意味がないですね。今ならわかるんです。アウトプット前提にインプットすると絶対にアウトプットしますから、そうしたら経験として残るんですよね。

記憶じゃなくて、経験として残るので、どんどん蓄積されて。あの時は「これやったからこれもやってみよう」「あの時はこれやった。じゃあ今回はアレンジして」とか応用や活用ができるんです。

インプットだけしているのは全く意味がなかったです。これは本当にに強く言いたいです。今、何かしら情報とか買ってはいるけれども結果がでず、情報商材のノートとかブレインとか、本もそうですね。テレビや雑誌、映画などいろいろ情報というのは無数にありますけれども。それはただ読んでるだけ。

情報を入れただけでは全く意味がないです。これは本当に。今実際に外注さんと契約させてもらって、いろいろ動いてもらってるんです。その人と情報共有もいろいろしてました。この人たちに「何か役立つ情報を提供できないかな」というふうに考えた後に、いろいろ本を探してインプットして、そのままそれをちょっと自分のにアレンジしてアウトプットして。

皆さんに提供するみたいな感じやってるんです。それはすごい身につくんですよ。インプットしたやつをライティングに活かしたりとか、こういった youtubeとかで動画で話したりとかすると頭に残るんです。実際に使うじゃないですか。ライディングしたりyoutubeで話すときに。

外注さんに「これやってみました。よかったです」「こんな風にしたらもっと良くなる」みたいに言われたら、強烈に記憶になるんです。それも経験になりますし、それでライティングした結果、 pvが増えたり、コンバージョンあったりとかすれば、それも経験になります。

結果的に違うサイトに応用できたり、SNSでも使えたりとかしますんでやっぱりアウトプット前提でインプットしないと全く意味がないってことですね。今は分かります。でも当時は何をしたらいいのかわからなかったので本を読んでました。

500冊読んでましたね。結局その後いらなくなった本が500冊。めちゃくちゃ多いんですよ。もうすごいんですもう本棚に入れなくて。自分の身長の半分くらいまで行っちゃって。そうなったらもう意味がないですよね。ただ良かったのは、タイトルを見ただけで、こういう本だくらいはわかります。

今も厳選した30冊ぐらい残ってて「これはこういう本だ」「この本使える」とかピックアップして読んで、すぐに実行するみたいなできるになったのがよかったですね。500冊読んでよかったですね。

分かったことは啓発本はただのアルコールです。飲んだら楽しいじゃないですか。翌日は全然記憶に残ってないじゃないですか。その場を楽しかっただけです。自己啓発本も一緒で、読んだ瞬間はめちゃくちゃ楽しいですよ。

すげえワクワクして「これから俺は何でもできるんじゃないの」「自分の夢が叶うんじゃないのか」っていうふうになるわけです。しかし読んだあと、寝てしまったら次の日にはもう昨日読んだ自己啓発本の内容を忘れているし、その時に頑張ろうと思った感情もやる気も元に戻っちゃうんです。アルコールが抜けるのと一緒です。

やる気を出すために本を読んで、やる気を失ってしまっては全く一緒です。読んだうちの100冊ぐらいは自己啓発本だったんですけど、読んで学んだことは「自己啓発本は意味ない、とにかくやることが大事だ」ということです。

自信の付け方がわからない人もいますけど、自信なんて成功体験を積まないと付かないんです。自信をつけようと思って何かやるんじゃなくて、とにかく何か行動しようと思ってやることが大切だなというふうに思います。ちょっといろいろ熱くなっちゃったんですけど。

マーケティングに関する情報発信をしていた

あとはマーケティングに関する情報発信をしてたんです。結局アウトプットしてましたね。そういえばマーケティングに関する情報を発信してるんです。

youtubeとかいろいろ。例えば一番集客に有効なチラシの3選とかですね。そういうタイトルでyoutubeを作ったりとか、情報発信したりとか、ブログ書いてたりしたんで。その時にやっぱりアウトプットしてますよ。

ある時に集客会社の社長に誘われた

ある時、集客会社の社長に誘われました。社員数が2、3人ぐらいで、アルバイトはたくさんいていわゆる集客に関するチラシ作ったり、ポスティングしたりしていました。あとは集客のコンサルしたりとかアドバイスしたりとか、ネット広告したりとか。集客周りの運用運営している社長にブログをみられて、うち会社でやんないかみたいな。

「そういう発信媒体もしたかったんだよ」っ言われて誘われれたんです。でも、正直もう本だけ読んでも無理だなと思いました。本だけ読んで何もしない、結局何をしたらいいのかわからないってなったら、とにかく社会人経験を積むしかないと思って、また再就職しようと思った時だったんです。

結局タイミング重なったのもあって、集客媒体の提供しても、先が見えないと思ったんです。結局、再就職を選んで3社目に行くことになりました。転職を2回することなりました。

結局何もしてなかったので、本読んでるだけ。一応「セラピスト」「マッサージ屋」としてやっていこうと思い、いろいろやって結局ダメだったという感じだったんです。「このままは意味ねーなー」「何にもなんないなあ」と思ってまた再就職することになりました。

このままバイトしながらではダメだと思い退職

2社がそんな感じです。2社目を辞めるときは普通に辞めました。あらかじめ言ってたのもあったし、別に問題なくこなしてました。さすがにスーパーのバイトだとレジやったりとか、商品をお店に入れたりとかそれぐらいの作業だったので。

あとは掃除くらいは全然問題なくやっていました。まあ主婦がやっぱり多くて、「その年齢でなんでバイトしての」とも言われますよ。そういう人は他にも1人か2人いました。でも問題にならなかった。割り切りでやっていたのもありますけど。やっぱりバイトは考えられたんでよかったです。

バイト中にいろいろ考える時間がありました。単純作業だと考える余力が生まれるんです。例えば単に商品入れているだけだったら入れればいいだけなんで頭使わないんです。

その頭を使わない分を他のことに頭使う。例えば 「マーケティングをどうやったらいいのかな」とか「これ読んだ本であれで面白かったなー」「あれってどういうふうに応用できるんだろう」とか色々考えたり。

「転職だったらどういう条件が自分はいいんだろう」とかいろいろ考えられる余力があるんで、単純作業系のバイトも使い方によってはメリットあると思っています。2社目はそんな感じでした。以上です。

3社目の話

3社目での出来事をいろいろ書いていきたいと思います。

今まで1社目は新卒で入社しましたが、半年で退職してしまいました。
その後、スーパーでアルバイトをしながらメンズセラピストをやったりマーケティングをやったりしていましたが、起業失敗みたいになりました。

この流れで続いてこの記事では、3社目の出来事をメインに取り上げていきたいと思います。

3社目の出来事とは?

転職2回目、つまり3社目を決める時の話についてです。3社目を決める時の基準は、裁量権のある仕事をやりたいと思ってました。

やっぱり私自身の「起業したい」とか「一人でやって稼げるようになりたい」とか「独立したい」と思ってたんで、その勉強になる仕事をしたいと思っていました。「新規事業やります」「裁量権のある仕事があります」「起業したい人どうぞ集まってください」とかそういう仕事に応募しました。

IT系だと「事業を海外でもやったりするんで、いろいろ募集してます」とかあって、応募したんですけど普通にだめでした。全然連絡もなく普通にシカトされました。あとはIT系だと、自分の事業も持ちつつ、会社の業務をやってもいいですよっていうような会社もありました。個人個人で月100万円くらい事業を持ちつつも、会社として集まって1つの会社のことをやるみたいな感じで。

複数の仕事をしてるみたいな感じもありました。そういうところはいいなとか思ったりしました。「週に2〜3日働くだけで普通に給料貰えますよ」とか「20万近くもらえますよ」とかそういう話もあったんです。結局はITの会社ではなく、教育系の会社に勤めることになりました。

社員が10人以下、割と規模的には小さい感じなんですけども、売上的には数億円ある感じです。そういう会社でした。そこでは「新規事業をやっていきたいと思うんで興味ある方は募集してます」みたいな部分で応募してみました。面接も2回くらい行って、人事の人やって、社長をやって受かりましたという感じですね。転職2回目の転職完了ということになります。

新しい事業を立ち上げるのは大変だった

実際新しい事業の立ち上げは非常に大変でした。ウェブサイトを作ったりとか。webサイトを作るのも自分自身でwordpressで作れたんで、それもできますよという話で入りました。また社内にエンジニアがいて、その人が作ったんですけど。あとはホームページの内容をどうするかとか、パンフレットをどういう風に作るとかです。

デザイナーは臨時できている主婦の人がいたので、そこにお願いしていろいろ相談しながらやってましたよ。でもやっぱりデザインの人って知ってますよ。読まれる文章、構成、デザインはどれがいいのか、どういう書体がいいのかどういう色がいいのかとかですね。

いろいろ考えてくれたんで、自分が作った下書きというか、仮の納品物とは全然レベルが違うものに修正してくれました。「あーやっぱスゲーな」というふうに思った記憶があります。あとパンフレットを作ったりとか。

あと営業先の開拓もしてました。セミナーとか行ったりして、セミナーの集客も行ったりもするんで。googleの広告とか使ったりして。会社として毎月10万くらい出していました。プラスアルファで新しい事業に乗せる感じでやってました。

あとはバナーとかですね。 adobe使いました。イラレ、フォトショ使いましたね。あのイラレとかフォトショって背景に三角が交わるところに日本語出てくるじゃないですか。あれ最初意味がわからなくて。なんで文字打っていないのにそんな文字出てくるのかって。なんか南無阿弥陀仏みたいな。

ひたすら字が出てくるんです。わかりますか。まあ謎だったという話で、何にも意味ないです。イラレとかフォトショはやっぱすげーなーと思いました。でもやっぱり社内のデザイナーの人しかそういうのを使えなかったんで、結局バナーを作るようなサービス使ってました。月額1万円とかのです。

バナーを簡単に作ますよ風なサービスがあったんでそれは使いやすかったです。バナーもある程度サイズ決まったりとか、ちゃんともう画像を読み込めば配置するだけで簡単にできちゃいますよみたいな感じ。

広告もこういうふうに作られてんだなって学んだところです。小さい会社だとやっぱり色々見れて良いです。お金の流れは見れなかったですけど、今思い出すと結構色々学びになったなっていうのはありますね。

これも半年ぐらいでやめちゃったんです。もうほんと仕事が続かない、本当に終わってるなって思いますけどね。また入っても6ヶ月でやめちゃいました。やっぱり新しい事業の立ち上がりは大変でした。自分で集客用のパンフレット作り、チラシ作り、バナー作り、集客用のweb ページ作りをしてました。

あとは飛び込みをして、チラシを配ったりとかいろいろしたりとか。セミナーの運用運営をやったり、セミナー講師を自分で選んできてそこで得た情報元にメールを流したりとかしてましたね。そこで「事業計画書を作れ」とか社長に言われです。事業計画書の本を買って作ってみたりしました。

結局途中で一人辞めちゃって。一緒に2人でやったんですけど。2人プラス社長が随時アドバイスくれたりって感じだったんですけど。結局途中でそのもう1人が辞めちゃって「マンバワー足りねー」ってなって結局やめちゃいました。

それで頓挫してしまいました。売上に全然つながらずに広告費、集客ツールの制作費と僕の人件費ですね。垂れ流しになって非常に申し訳なかったなって今では思いますね。

仕事がつまらなくなった、毎日眠かった

そこから既存の事業を手伝うことになっていろいろやってたんですけど、それがめちゃくちゃつまんなくて。もう単純作業なんです。ほぼ工場にいるのと変わらなくて、郵送物をパッキングして送ったりとか。

お客さんから色々注文があったらそれを用意したりとかお客様の電話対応したりとか定型業務なんです。これが全然無理ですぐに眠くなっちゃうです。考えることがいらない仕事は本気しんどいなと思います。それが得意な人もいると思うんですけれど、自分は無理でしたね。

ロボットみたいなもんですからね。電話きた、答えよう、注文きたら注文通りにものを用意して郵送しようってやるだけですから。定時プラス1時間ぐらいで帰って、また会社きてそれやってとかもう最終的にめちゃくちゃ眠くなっちゃって。考えなくていいんですよね、

もう眠くなっちゃってよくわかんないですよ。毎日つまらなくて、毎日眠くて、もういいやと思って終わっちゃいましたね。もう何でそんな辞めんだよ。本当におかしいな。

辞めた理由

辞めた理由は「もうつまらない」「この会社や仕事に将来性を感じない」とかでした。ずっとそれやるわけですから。「今後も新規事業をやりたいです」って言えばよかったかもしれないです。今思うと新しいアイディアとか出したら、社長は絶対に喜んでくれますよね。「こう思うんですけどどうですか」「これちょっとやってみました」みたいな感じであれば絶対に社長は喜んでくれますよ。

今だったらわかりますけど当時はそういったふうには考えられなくて。「自分の目の前の作業がしんどい」「つまらない」となり、辞めましたという話です。

やっぱりIT系にいきたいと思っていました。市場はガンガン伸びていますし、3社目の会社でもエンジニアは重宝されて、その人しか知り得ない情報、その人にしか対応できないことが結構あって。その人はあまりコミュニケーションが得意じゃなかったんですけども、重宝されてました。他の人にできないようなことをやる人は価値があるなと思いました。

IT系になると「パソコンがダメだ」「ファイルサーバーってどういうこと」みたいな話になって、 ITやシステムという単語すらダメという人もいます。そういったところに結構価値があるなというふうに思いました。なのでその辞めた理由の1つで自分が IT系に行きたいことでした。

辞めると言った時の話

辞めると言った時の話です。辞めるって本当にしんどいんです。辞めるって言った後の自分への対応が非常に冷たくなってしまいますので。それを考えると「もうやめるって言いたくない」「でも辞めるって言わなきゃいけない」という葛藤があったりし、本当に2〜3週間くらいは言えなかったです。

ちょうど人もいないし、みんなの業務が逼迫してしまうなとか色々考えたりとかです。3週間も言えなくて、時には「アルコールを入れてやろうかな」というふうに思いました。実際にテキーラを銀色のケース、アメリカのインディアンが持ってるケースの中に入れて会社に持っていくんですよ。仕事のバックに入れてです。2〜3週間くらい毎日持っていました。

社長がいるところを狙っていこうかなと思ったんですけど、やっり言おうとしたらなんか違う話をしてしまって、全然言い出せなかったです。でも社長は自分が辞めたそうにしているのを分かっていて、それを言えなくしてたんだろうなって今はわかるんです。だってよくわかんないタイミングで飲みとか誘われましたから。

宮迫さんとか他の超有名な芸人さんだと思うんですけど、最初の頃はすごい人前に出るのを緊張していて、緊張を緩和するために出番の前に酒を飲んで、ちょっと酔った感じにして出番をやってたみたいな話がありました。そうなんだみたいな風になって自分も「酒飲んだらいいやん」と思ってやってました。

酒を飲むとやっぱり緊張なくなるんです。完璧100%なくなるって訳じゃないんですけど、非常に良くなります。嫌なこととか言いやすくなるので、そういったところでは酒を使った方がいいなと思うんです。

会社について、社長が戻ってきたなと思って、1階のトイレに行くんですね。酒をスーツの胸ポケットに入れて。トイレに入ってちょっとテキーラを飲むと。仕事場戻ると20分30分ぐらいすれば結構いい感じになって。

それで緊張がほぐれたりするんです。やっと3週間後ぐらいにいいました。言ったら簡単に流されて「まあいいから1回話そうよ」みたいな。「じゃあ今度ちょっとめし行こうよ」みたいな風に言われて、わりと軽く流されました。実際にメシに行くことになって、すごい話したんです。

「将来的にはIT系の仕事につきたいと思っているので辞めさせていただきたいと思っています」って言ったら「まだ数ヶ月しか働いてないだろう、そんなわかるのか」言われて「そうですね。働いた期間が短くて大変申し訳ないんですけれども」という風に言って、いろいろ話をしたりしましたね。そのご飯を行くのが2〜3回はあったんです。

あとは社長の車の中でドライブしながら話したりとかもしてました。その時は夜景見せられて「いいだろう。こういう夜景も見れるんだぞ」みたいに言われて、「これからもうちょっとみんなで頑張っていこうぜ」みたいなに言われたんですけど夜景を見ながら男二人で。

でもやっぱり「IT系の方に行きたい」ってかたくなに拒んでました。なんかやめるのに慣れるっていうか。その時は引き継ぎ時とかめっちゃしんどかったです。険悪な雰囲気だったんです。先輩2人いて、1人がい「一応退職願い書けよ」みたいな言われて「書いてないです」と言いました。

退職届と退職願があるそうで退職願いは依頼する、退職届は確定の話みたいな。その時は退職願じゃなくて退職届出だったんで会社で作ってその場で作って持っていきました。業務の引き継ぎとかも、ほんとしんどかったですね。「これはこういう風になってるんでお願いします」と引き継いで「了解」みたいな感じに言われている。その時は温かい人はいなかったです。興味ないのかなぁ。

わかんないですけど別に温かくする必要もないですね、もう赤の他人ですので。もう関わること事なんてないでしょう。いつも冷たかった人は冷たかったし。辞める時ってほんとしんどいですよね。やめるときって傷つきます。まあその時は全く自殺とかは考えなかったと思います。まあ自殺考える人もやっぱり追い込まれたらまあそれは考えますよ。

私も1社目辞めるときは結構限界きてたんで。「あー会社いきたくねー」とか「この寝てずっと朝が来なければいいのに」とか思ったりとかしました。まぁ後は「地球爆発しないかな」とかしょうもないことを考えてました。「なんか天変地異とか起きないかな」とか「何かでっかい事件を起きないかな」とかです。

そういった外部に事件を求めて、ハプニング的なものを求めたりとか。なんか会社に行かなくていい出来事が起きないかな風になって。逆に「会社が潰れたら行かなくていいんだよなぁ」とか思った時もありました。結局最終的には自殺とか考えてしまう時はそういう風になってしまうんです。

会社辞めるという選択肢しか出てこないですから。魔が差して自殺してしまう人もいると思うんです。でも後悔できないですからね、死んだとあとは。絶対に自殺はダメだと思います。ブラックの人っていうのはもう外部の情報全然入ってこないですから。

自分のことで手一杯でニュースとか全然見る気もしないですし、毎日会社のことばっかりしか考えれなくなっちゃうんです。外部の情報が入らない、友人とも全然会わない、家族とも会わないとなり、外部から情報が入らないです。そうしたら自分自身に追い込まれてしまって。

結局自殺以外の選択肢が見えないんですよね。だから「自殺する前に会社やめたらええやん」というふうに思いますけど。なかなか難しい話ではあるんですけれども現実的にはそんな感じです。

そもそも2社目で働いても、本を500冊読んでも何もならなかったです。自分自身は社会人経験、会社経験を積もうと思って、一人で出来るスキルとかつけたいなと思って。3社目では裁量権のある仕事、新しい事業を立ち上げるような会社に就職することにしました。

でも結局途中で頓挫してしまって、通常業務に行ったところ仕事をつまらない、毎日眠い、このままやっててもしょうがないんじゃないかというふうになって辞めることを決意しました。やっぱり理由としてはIT系の会社に行きたいというふうな話をして辞めることになりました。

辞めると言ったあとはやっぱり冷たい感じで対応されたので悲しい思いをしましたという話ですね。はい以上になります。

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