ジョブホッパーの末路とは?新卒入社半年で1社目を退職した話

ゆきぱん
ゆきぱん

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転職は5年間で3回してしまったり、その他にも過去に泣けたり大金を失ったりするような失敗を繰り返して今に至ります。詳細はYouTubeチャンネルもご覧ください。
それでは全集中で書いた渾身の記事を見ていってください♪

私はFラン大学から新卒で東証一部上場企業に入りました。
業界最大手だったので、かなりリッチな会社でした。
ただ、半年で辞めてしまいました。

そのあたり、当時何があったのかについて詳細を書いていきたいと思います。

音声で聞きたい人はこちらをどうぞ↓

慶応早稲田の人がいて同じ場所に立てて喜んだ

私は転職を20代で3回しているのですが、順番に1社目、2社目、3社目名、4社目と今が4社目ですけど、そこらへんの話しをどんどんしていきたいと思います。

まずは1社目の出来事です。

慶応、早稲田の人がいて同じ場所に立てて喜んだという話なんですけども、私は元々Fラン大学出身でめちゃくちゃ学歴コンプレックスがありました。

慶応とか早稲田だとか東大とかですね。
あとマーチの人も青学とか駒沢、東洋とかそういったところの人に対してすごく劣等感を感じるんです。それはずっと感じていました。

いろいろサークルとか他の大学の人とも絡むようなサークルとか、なんか集まりとかいろいろあります。あとバイトでもあります。バイトでも学歴で優秀な人がいるんですけど、例えばその一緒に働いている人が早稲田だったら「早稲田なんだって、めちゃくちゃすごいやん」「東大なら本当に頭良いんだろうなー」みたいな風に思っていました。

そこら辺ですごい劣等感を感じました。もう自分は「くそダメな人間だな」というように思っていたのです。就職した先が東証一部上場企業でした。
入ってみたら実際に慶応や早稲田の人がいて「俺も同じ場所に立てたんだ」っていう風にめちゃくちゃ喜びました。

やはり入り口が違いますし、同じレベルの出身じゃないと手札が違うわけです。慶応や早稲田の人に比べても、僕はFランというクソみたいな三流大学ですから、全然レベルが違います。

慶応や早稲田をエースとすれば、自分はもう普通に何かクソみたいな何も取り柄もなかったにもかかわらず、同じ場所にいたわけです。同じ場所に就職できたのです。ハッピーハッピーです。

「やっと同じレベルの場所に立てた」「自分は結構できるんじゃないか」みたいな風に思ったんです。
だから慶応や早稲田の人だったとしても、僕と同じ場所にいることに若干ですが「ざまぁ見ろ」的なことを思っていました。

でもやはり、それだけ自分にコンプレックスがあったので、今まですげーなと思った人と同じ場所に、同じルートで就職面接をして、同じように一次の採用面接、二次の採用面接、三次の採用面接に通ってっていうような感じでやってきて。それで同じように認められて、会社の人事に認められたというのはすごい喜ばしいことで非常に喜びました。やっぴーです。

これには親も喜んでくれて非常にうれしかったです。

ちょっとなんか今思い出すと悲しいですが、大学4年の時の卒業旅行みたいな感じで行きました。親もその場ですごい喜んでくれました。
泊まるところでショーがあったんですけど、そのピアノ演奏者がいろいろ席回って「ありがとうございました」とか「握手しましょう」みたいになりました。

その時、うちの父親が「息子が今回、上場会社に就職することに決まったんですよ」みたいな風に言っていました。
そのピアノの演奏者の人も「あめでとうございます」っていう感じで言ったのを今でも覚えています。

それくらい親は喜んでたんだなあというふうに思いました。
喜んでいるのを踏みにじる感じになっちゃうんですけど…。
ただやっぱり親とは感覚がなかなか合わないなと感じました。

少し話はそれましたが、そんな感じで自分自身はコンプレックスを持ったんですけど、慶応や早稲田の人と同じような会社に就職できて、それで若干コンプレックスが解消されたっていう話でした。

新入社員研修1ヶ月間

新入社員の社員研修が1か月間あったんです。会社じゃなくて合宿でずっとやってました。1か月間ずっと泊まりながら。新入社員は100人くらいはいたんですけど、みんなで一緒に行ってました。

朝はちゃんと6時に起きて、日経新聞読んで、日経新聞の問題が出て、日経新聞の問題に答えて、会社の売上とか会社の標語とかみんなで声合わせて合唱したり、社歌という会社の歌があるんですけど、歌ったりしてみんなで声を合わせていました。

あれは面白いですよね。社歌を歌ってマジでキモいじゃないですか。みんな同じ歌を歌って。でも、それはである意味で楽しんじゃえば意外と面白くて。

なんかみんなで「ここちょっと音程変えようぜ」「今日はガチでやろうぜ」みたいな感じでなんとかやり過ごしました。

やり過ごすといったら、テストもありました。
僕はあの全然覚えられなかったのですが、やはり慶応や早稲田の人が強いんです。いつも満点に近い。やっぱそこでも自分とは違うなと思ったんです。
知識量や記憶力とかは高いんだろうなと思います。

1ヶ月間は結構長くて、テストは毎回あって、夜に勉強するしかないんです。

やっぱり大変でした。勉強できない奴はブラックで長時間やるしかないですよね。まあ罵声を浴びせられるとかなかったんですけど。

一番印象に残っているのが最後に合宿1ヶ月の思い出ムービー流すみたいなところがありました。

今までの振り返りとか、この1ヶ月何をしたかとか、今後頑張りましょうみたいな。
人事の担当講師みたいな人がいろいろ本音を語ってくるんです。
「よく頑張ってくれました」「これからもがんばれ」みたいな感じで言ってると時には泣いてしまう人もいました。

そこですごい心を揺さぶられました。これはライティングでも使えますね。自分のライティングの物語、提案でやはり使えます。結構泣いている女の子もいましたが、私はちょっと若干キモいなぁと思い見てたんです。こんな感じで1か月終わりました。

配属直後に男性社員自殺

アラサーくらいの男性社員が自殺したというふうな話を聞きました。配属されてすぐです。その時は外に営業にいましたので、あんまり社内の様子が分からなくて…。

あんまりみんなその話題に執着してないというか、その場はしないみたいな感じでした。いつも通りに営業してました。いつも通りみんなは業務したり、作業したり、電話したりしてました。自殺してもやっぱりそういう風な感じなのかなというふうに思った次第であります。

自殺してしまった男性社員の部長さんはめっちゃくちゃいかついんですよ。ほぼヤクザなんです。見た目だけでなく、暴言とかもすごくて。大阪弁で「どないするん!!??」みたいに言うような怖い人でした。

体格もよく、熊みたいな肌も真っ黒で髪もテカテカのオールバック。「今日数字どうすんねん」みたいに詰めるんです。詰める型の部長でしたので、そのやっぱり下に入るとしんどいだろうなとその時は思いました。

それで思い詰めて死んでしまったというところです。その時自分と同じ部の先輩が教えてくれたのは「ここらへんの近くのビルから飛び降り自殺しちゃったんだよ」ってことです。自殺はまあある話ですし、なくはない話なんでそういう人もいるのかなって思いました。

やはり営業職なので、数字に追い込まれてしまったらそういうことになってしまうなって思いました。でもそこまであまり自分的には感情は動かなくて、あまり悲しい所がなかったです。ただ「会社名スペース自殺」ぐらいは調べてました。

調べると他のグループ会社でも死んでしまう人もいたというような情報をネットに書かれてて、まぁある話なんだなと思いました。悲しい話なんですけど、実際に数字とかで追い込まれる仕事なのでありえる話であります。

営業成績が全然出なかった(仕事の話)

結局自分自身もやる気だけはあるものの、営業成績が全然出なかったんです。1ヶ月目配属されてすぐに結果を出す同期もいましたし、配属されて結果が出なくて自分と同じような人もいました。

ただ、少しづつ結果を出す人が増えてきます。30人ぐらいが支社に配属され、最初1か月目で5人くらいは成果が出て、その後6人ぐらいは成績出ました。3ヶ月目では15〜20人ぐらい出て残りは3〜4人です。

そのうちの1人となり、全然成績が出せずでした。日々飛び込み営業や電話のテレアポ、パンフレットのポスティングなども行いました。あらゆる営業のことはやりましたが、成績が出せず、非常に会社に居づらかった記憶があります。

今思えば、もうちょっと長くやってもいいんじゃないかなとも思います。しかし、結局辞めることになりました。割と数は打っていたつもりなんですけど、まだ足りなかったということだったのでしょう。

成績出てる人は1回出ると波に乗ります。どんどん成績を出したいと思い、お客さんにも気に入られて、紹介されたりとかしていくわけなんです。しかし、自分は全然成績を出せず「ああしんどい」「もう会社行きたくない」「営業の電話したくない」「訪問販売してもそんなの買わないだろう」みたいな風に思っていくのです。まあまあつらかったです。まぁまぁどころじゃないか。

会社には行きたくなかったですし、仕事もしたくなかったです。どんどんそういうふうになるとマイナスになっていきます。1か月、2ヶ月、3ヶ月でも成績が出ないとどんどんマイナスになり、そのサイクルで本当にしんどかったなっていうのがあります。

なぜ辞めたのか?

なぜやめたのかというと、「本当に自分自身は営業に向いていないんだな」とか「こういった大組織には向いていないのかな」と思ったことです。自分自身がそんなに飛び込み営業とかを頑張る勇気がなかったんですね。

その反面「営業をずっとやってもしょうがない」「広告とかマーケティングとかのほうに行ったほうがいい」「今だとIT系が流行っているし、これからも伸びるだろうからIT系に行ったほうがいい」「プログラミングをできるようになった方がいい」といったプラスの理由もありました。

なのでマイナスの理由とプラスの理由をそれぞれ考えながら結局やめることになったんです。しかし、将来的にはどうしようとかまで結局は考えてなかったので、マイナスな理由で辞めたっていうのが大きいと思います。あとはやっぱり嫌だったんです。「もうこれ以上ここにいるのが嫌だった」というのが一番です。

その時に「自殺しなくてよかったな」というのもあります。思い詰めると、やはり「もうめんどくさい」「もう疲れた」とか思ってしまいます。「自分に向いてないし、もう生きててもしょうがないな」といったように思ったこともあります。

頭にはよぎったものの、やはりまだ余裕があったんだと思います。新入社員だしみたいな感じもありました。実際に先輩たちも「まぁそんな早く成績でなくても別に問題ないよ」と言ってくれる人もいたので、ちょっと余裕があったというのもありました。

実際に半年や1年ぐらい全然成果出なくても、2年目で跳ね上がる人もいたらしいので「そういう道もあるのか」とは思っていましたが、結局やめてしまいました。半年で辞めたんですけど、もったいないなというのはあります。慶応や早稲田の人とやっと同じ土俵に立って、やっと学歴コンプレックスが解消されると思ったのになんか上手くいかなかったというわけです。

辞める時の冷たい人と温かい人

辞める時にやはり基本的にみんな冷たいです。無関心もありますし「え?もうやめるの?」みたいなひんやりとした雰囲気もあります。自分よりも早く辞めた人は5人ぐらいいたんですけど色々思われていました。

「もうやめるのかな」「根性ないな」「ほんとやる気がない」「せっかく入ったのにどうしてくれるだ」とかです。研修費用や教育時間をかけ、1人当たり2000万円から3000万ぐらいかかるんだとみたいに言われて、確かにそれは申し訳ないなと思いました。

しかし「もうそういうのはもう関係ない」とも思いました。「やめたいと思わせるようなことに至ったのはあなたの責任でもあるでしょ」みたいな感じで。
そういったところもちょっと自分的には半分良くない性格かなと思います。
実績実績で追い込まれて、お前にも責任あるみたいな風に思うたちではあったんです。

そこらへんはなんとかバランスよくやってたのかなと思います。結構大多数が冷たいんです。でも一人だけ温かい人がいて、ほんと今でも記憶に残っています

やめるって話した後はやっぱり冷たくて本当にしんどいなというふうに思っていました。当時のことを思い出すと悲しくなります。

やはりみんな冷たい中で毎日出勤して仕事するというのはしんどかったです。その中で一人だけ温かい先輩がいて、その男性の先輩は「とりあえず飲みにいこうよ」みたいな風に言ってくれて行きました。

そこで「まだ残ってもいいんじゃないの」とか「まだ全然成果出してなくても大丈夫だ」とかいってくれたんですけど、もうやめるって言う風に決めてたので、「せっかく引き止めてくれたのに申し訳ないですけど」みたいな感じになり、結局その日はさよならしました。

結局終電も逃してしまったので、タクシー代もくれたりとか、非常に良くしてくれました。その人は今でも記憶に残ってるんで何か今後あったら「あの時はありがとうございました」って一言言いたいです。

親の反応

次は親の反応というところで言うとやはり基本的には「せっかく東証一部上場企業入ったのにもったいない」とか「半年で辞めるのはもったいない」という話ばかりでした。自分の話はもともと親にもしないんですけど、決めたことに何か言われても「へー」くらいにしか思いませんでした。

その時はかなり残念そうにしていたので、親の期待に応えられなくて申し訳なかったなというふうに思っています。でも自分で決めないと親が決めた通りに動いてもしょうがないとも思っています。

結局親も定年が終わって、元いた会社にかなり年収下げて継続して働いているんです。しかし、それもよく分からないです。会社に所属してずっと一定の成果を出してきているのに、急にある年齢から能力とか全く変わらないのに年収ガクッと落ちるっていうその制度も意味がわからないです。

本来なら何かしらの1つに特化したことをやっていくならどんどん知識と経験が積み重なって、それに対する対価も増えていってどんどん収入も上がっているのが普通の道だと思うんです。結構大きな会社に勤めているんですけれども、定年制度があって、一定の年齢からは急に年収が下がってしまうんです。

ほんと意味が分からないと思うんですけどそんな感じで働いています。なので親も上場企業なんで自分がやめてしまうということに対して「本当に大丈夫?」みたいな感じはやっぱり言われました。

でも自分的にはその時は「IT系にいきたい」「やはり自分で稼げるようにならなければダメだ」といった話をして結局辞めることになりました。そんな感じで1社目の出来事は終わりです。

まぁ意外と辞めるときに冷たい人と温かい人がいるという話で、ちょっと自分自身もかなりいろいろ思い出していろんな感情が込み上げてきました。けれどもやっぱり最終的に何を思ったのかといったら、辞めたのは辞めたのでしょうがないです。

全然まとめな話になってないですけど、最初は入社して慶応や早稲田の人と同じ土俵だと思ったんです。自分は三流Fラン大学なんで喜んでいました。しかし、慶応や早稲田の人はすごいです

やはり培ってきたものが違います。勉強のやり方や辛抱強さ、メンタル的に強いところ、1つのことをやりきれるところですね。コミュ力も高いですし、Fランの出身の人とは比べ物にならないくらいやっぱり元々の素養が高いというかスキルがあります。

1カ月間ではその感情を知りつつ、あとは自殺というのがありましたけど、今思えば「何で無関心だったんだろう」と思います。今だったら本当に「え?まじで?」みたいな風になりますけれど、その時は全然なってなかったです。やはり、自分自身のことしか考えられなかったんだと思います。

人のことは全然考えられなかったし、余裕がなかったし。他人という風に思っていました。同じ会社の人であったとしても。結局は自分自身の営業の数字を出さなきゃいけないんで、そのことばかりを考えていました。

そういう風に言われていましたし、上司とか人事から「数字を出さないって本当に価値ないから」ぐらいの話はされていました。実際に先輩社員も数字で判断されますんで、数字が出せなかったら降格や役職が落ちます。数字が上がればインセンティブがもらえるし役職があがります。

全部が数字の世界ですから、それが出せなかったら全く価値がないんです。そこにしか価値をないので、つながれてこなかったと思いますね。上司や部長とか課長とかに色々連れてってキャバクラとかちょっとセクシーなお店に行ったりとかいろいろな経験させてもらいました。

そこは非常にいい私の経験となっていて、ありがたかったなと思っています。こんな感じです。結局成果が出なかったのも自分のスキルや胆力の無さ、耐える力の無さがあったんですよね。結局いやになって辞めるっていう典型的な辞める人の流れです。という感じで1社目の出来事は以上になります。

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